文章を書くことと論理学について

何かを書くことで生計が成り立ったら幸せだろうな、と思う。しかしライターになりたいというわけでもない。社会問題にも疎く、新商品にも興味がなく、面白ネタを思いつく能力もない。

分野としては、詩と論理学が好きだ。詩を書くことで儲けられたら一番楽しいと思うのだけれど、天性の才能に左右される分野なので不可能だと思う。なので儲かりチャンスを狙うとすると論理学の方になってくる。でも論理的思考によるビジネス成功術や出世術は書けない。なぜなら出世していないし、出世術の分野にはそれほど興味がないからだ。

論理学は、相手を論破するためのものでもないし、伝わりやすい文章を書くためのものでもない。議論に強くなったり文章が上手くなったりするのは「ロジカルシンキング」であり「論理学」ではない。両者はまったく別のものだ。ビジネス業界での「ロジカル」「論理」は議論能力とか文章能力とかの話として「ロジカルシンキング」の意味で使われるが、それは学問的には論理学とは関係ない。議論能力や文章能力は、コミュニケーションなので心理学の分野に含まれると思う。

論理学をやっても議論能力や文章能力が上がらないとなると、論理学は何に役立つのか。

まず「そもそも学問は役に立たせることを目的としてやるものではない」という認識が必要。宇宙の果てがどうなっているかとか、人間の祖先がどんなだったかとか、そういう学問的に重要なことをやったところでビジネスの世界に何かメリットがあるわけではない。利益主義は純粋な学問の研究を阻害したりすることさえある。

とはいえ論理学は実生活にまったく役立たないわけでもない。論理学の役立たせ方として一番効果的なのは課題整理だと思う。どういう理由でどういう結論が出るかを整理する能力は、論理学を学習することで上げることができる。これは個人の内省的な能力だ。論理学分野によって内省能力を上げて、心理学分野によってコミュニケーション能力を上げることで、結果的にその合算で議論能力や文章能力を上げる、というのが「ロジカルシンキング」なのかもしれない。

論理学者自身はあくまで学問がやりたいだけなので「論理学を実生活に役立てよう」とは思っていない。なので、論理学の中には実社会に使われていないものがたくさんある。その中には、実生活に応用すればすごく役立つものがたくさんありそうな気がする。僕が個人的に注目しているのが論理学の「様相論理」という分野。しかしどう応用すれば一番いいのかまだはっきりとはわからない。それをちゃんと書けばそこそこニーズがある文章が書けるのではないかと妄想していたりする。

とはいえ、それがどれほど大変なことなのか、それがどれほどニーズを生んで儲かることなのかが分からないため、本気で取りかかってはおらず、このブログにたまにちょこちょこ書いている、という状況。これからもそんな感じでやっていきます。