矛盾こそ正義

心理学

人が矛盾を嫌うのは、人には「認知的不協和」という「矛盾を認知すると不快感を覚える性質」があるからだ。つまり、矛盾を嫌う感情そのものは、心理的な問題であって、論理的な問題ではない。矛盾していることを怒ることが良いことなのかどうか、というのは、論理学では結論が出ない。正しくもないし、間違ってもいない。ただ単に、矛盾していることを怒る人が多いという状況があるだけ。

論理学

論理学は矛盾をタブー視してはいない。現に、論理学には「矛盾許容論理」という分野がある。論理学者は、矛盾しない論理も研究するし、矛盾する論理も研究する。論理学者は研究さえできれば良くて、その都度、矛盾を許したり許さなかったりを使い分けている。

哲学

小池百合子さんがよく使う「アウフヘーベン」という言葉は「相反する二種類の考え方をぶつけあうことで、第三のより良い新しい考え方を見つける」という意味の哲学用語。「矛盾を乗り越える」という言い方をすることもある。議論を始めるためには、まず相反する矛盾した考え方が必要。「アウフヘーベンを起こす」というのは単に「議論する」ということとほとんど同じことのような気もする。アウフヘーベンを取り立てていう必要があるほど、政治家は今までアウフヘーベンを起こしてなかったんかい!という感じもする。

仏教

僕は無宗教だが、いろいろなところで見聞きする仏教の話には、「矛盾」に近い状況をあらわす言葉が多いように思う。「色即是空 空即是色」がいい例。存在するものは存在しなく、存在しないものは存在する。矛盾を乗り越えたいと思う人間の願望が、矛盾しているように見える仏教用語を次々と作り出してきたのかもしれない。

物理学

ニュートン力学でどうにもならない矛盾が起こったので、アインシュタインはその矛盾を相対性理論で説明した。それでも矛盾が残ったので、それを説明するために量子力学という新しい物理学が生まれた。今も物理学の中には矛盾が存在していて、物理学者はその矛盾が解消される説明方法を見つけ出そうと日々研究している。将来、物理学が矛盾を全部説明しきった場合には、人類の長年の夢が叶ったということで喜ぶ人は多いだろう。しかし同時に、大きな謎解きがもうできなくなってしまうということに、悲しさを感じる人も出てくると思う。

数学

「差が2の素数のペア(5と7、11と13、などなど)は無限に存在するか?」という問題は、長年に渡り世界中の数学者を悩ませている未解決の問題。このような、長年証明されていない未解決の問題が、数学には山のようにある。かつての数学者は頑張ればすべての問題が解けると思っていたが、「永遠に頑張っても解けない問題が絶対にある」とゲーデルという人が1930年に論理的に証明してしまった。多くの世界中の数学者はものすごくがっかりした。ゲーデルが証明したのは「数学には矛盾がないのであれば、数学には証明も反証もできない問題がある」というもの。矛盾がないことそのものが、すべての問題を解きたいという数学者の夢をふさいでいたのだ。

芸術

「こういうものが芸術である」という「芸術の定義」というようなものができそうな時、芸術家はそれを壊そうとする。キャンバスに落書きだけ描いてみたり、便器に名前だけ書いてみたり、演奏も何もせずに「無音の音楽だ」と言い張ってみたりする。芸術の定義に反するものこそ芸術。矛盾という概念に一番耐性があるのは芸術かもしれない。

社会学

この宇宙に矛盾が存在していたおかげで物理学が発展してきたとはいえ、認知的不協和という性質を持つ我々人間の社会においては、矛盾というものはなるべく減らしていかないといけない。「青信号は進むべき、かつ、青信号は止まるべき」は詩としては存在してもいいが、それは法律やルールになってはいけない。つまり、矛盾は正義ではないのだ。